オレンジ色にカビた
冷たいご飯しか食べていませんでした

6畳1間の風呂なし木造アパートで週3回の銭湯の生活が今でも思い出されます。

小学4年生の時に週3回風呂に入ってると自信満々に言ったら同級生にバイキン扱いされました。

 

その当時私はお風呂に毎日入るものだと思ってなかったのです。

ご飯は冷えて黄ばんでいる醤油をかけたご飯だけ。

これは誇張ではなく毎食そうでした。

 

お米のカビはオレンジ色で、それを注意深く避けながら食べるのが日常になっていました。

父はアルコール中毒で収入のほとんどを酒と麻雀につぎ込み、

生活に困窮し、父のお金をとっただのなんので母を殴る蹴るの毎日。

母は生活困窮のあまり、ゴミ拾いをして生活の足しになるようなものを探し始めました。

 

家にある服やテレビ、食器はすべて拾ってきたゴミでした。

アル中の父の顔色を伺う毎日に
母が壊れました

母や台所用の洗剤や、そのあたりのゴミを食べるようになってしまう始末。

家事や炊事は当然できず家はゴミ屋敷状態。

 

父は帰ってこなくなり母と二人残されました。

母は後に統合失調症という精神病であると診断されるのですが、

そのようなことを教えてくれる人はおらず奇行を繰り返す母と二人きりの生活が続くようになりました。

 

そして、運命の日を迎えます。

小学5年生の新学期。

今のような春の時期桜が舞う季節でした。

 

小学校の校門から出た桜並木がとても綺麗で、学校ではバイキン呼ばわりされている私もこの季節だけは楽しかったのです。

どこでも全く娯楽のない
どん底の私にとっては

美しい桜を見ながら歩くことは
最高の贅沢でした。

いつもよりも倍の時間をかけて学校から家に帰り

 

「ただいま!学校の正門出たとこの桜が綺麗だったよ。」

 

とお母さんにいうと、

 

「うるさい!静かにしてちょうだい!」

 

と怒鳴られました。

 

その眼差しは我が子に見せるような視線ではなく、暗く鋭いものでした。

 

それでも優しかった頃のお母さんを私は忘れることはできませんでした。

 

ゴミ溜めのような家。バスタオルをかぶってブツブツつぶやいている母。

学校から、私は最悪な宿題を渡されていました。

 

それは給食費を封筒に入れて持って学校に提出すること。

こんな状態の母に渡したら機嫌が悪くなることは当たり前です。

愛する母にめったうちにされました。

母の独り言が止んだ時のタイミングを見計らって給食費の封筒を持って、

 

「これさ、来月分なんだけど…。」

 

と見せた瞬間、封筒を持った左手がバチン!と叩かれました。

 

「ふん、あんたは本当にお金がかかる子だねぇ。

この金食い虫が!こんなお金、我が家にあるとでも思ってるの!?」

 

給食費袋をビリビリにに破り捨てられ、慌てて

 

「ダメだってば…。学校の先生に怒られちゃう。」

 

その封筒を拾い上げようとしたその時に

 

「あんたねぇ、その表情が気に食わないのよ!」

 

右ほほに強い衝撃が走りました。

平手打ちを受けたようでバランスを崩し尻餅をつき

 

「お母さん、ごめんなさ…」

 

というや否や

 

「謝ればすむと思ってるの!

お父さん、お母さんがどん底の生活をさせられてるのはすべてあなたのせいよ」

 

愛する母にめったうちにされました。

 

「お母さん、痛いよ…。」

 

私は痛みよりも一番愛して欲しい母から拒絶されたことが何よりのショックでした。

 

母の目は鬼の形相で、私の髪の毛を鷲掴みにして激しく頭を床に叩きつけました。

髪の毛が何十本も抜け落ちましたが手は止まることはありません。

 

スリッパで私の頭を何十回と叩き続けられました。

 

両手で必死に頭を押さえ何回も泣きながら謝るも、髪の毛を掴まれ無理やり顔を起こされました。

 

「この、憎たらしい子!あんたなんか、死んでしまえばいのよ!」

 

電気コードのコンセントで顔を殴られました。

 

もうこれは死んでしまう…。

そう感じた私はドアを開け裸足で逃げ出しました。

私は生まれてきてはいけなかったの?

「どこ行くの!待ちなさい!」

 

「もうこんな家居たくない!お母さんなんか大嫌い!」

 

逃げようとする私の頭をめがけて母は財布とランドセルを投げつけました。

 

「あんたの顔なんか二度と見たくない。金食い虫が!帰ってくるんじゃないよ!」

 

そういうなり、踵を返し、母は勢いよくドアを閉めました。

 

 

その瞬間私は糸が切れたようにその場にしゃがみこみました。

殴られて腫れた頬に涙がぼたぼたと流れ落ちました。

 

「私は、生まれて来ちゃいけなかったの…?」

 

母は出てくる様子はありません。

もう、戻れない。

アパートを出て、無我夢中で隣の家に逃げ込みました。

児童養護施設で親の愛を捨てました

事態を重く見た、アパートの隣の家の人は児童相談所に通報。

2週間ほど保護されて私の受け入れ先が決まりました。

1ヶ月ぶりにあった父と共に児童養護施設に連れて行かれました。

一通り説明をきき、

「しっかりやるんだよ…。」

父はそういうと去って行きました。

行っちゃいやだ、いやだ…。

離れ離れになるなんていやだ…。

幼い私は、まだそんなことを思っていました。

お父さんがお母さんをいじめなければ、こんなことにはならなかったのに。

抜けるような青空…。

1990年5月7日

絶望のような色をした青色でした。

鍵付きのドナルドダックの日記だけが
自由になれる場所でした

児童養護施設でも施設初日から、わかりやすくいじめられました。

 

度胸と腕っぷしが非常に重要なので

もともと学校でも虐められていた私は、最下層に近い存在でした。

 

施設に入り何ヶ月かしたある日、施設でディズニーランドにいくイベントの日。

家族でいきたかったと思いを馳せながらのディズニーランド。

 

それなりには楽しかったけど、それを吹き飛ばす

運命の出会いがそこにありました。

 

お土産コーナーで見つけたドナルドダックの日記がなぜかすごく輝いていて、どうしても欲しい。。。

今まで日記なんて書いたことないのに…。

 

まさに運命の出会い。

しかし、お金が300円足りません。

何よりも価値のある「300円」の融資…

お金が足りず、勇気を出して孤児院の同じ部屋の子に頼み込んで融資を受けて買いました。

 

その日から日記の中だけは完全な自由。

日記だけが本当に友達。

 

今までで一番価値のある投資だったのではと思っています。

何も贅沢を言わない。

だから楽になりたい。

死ぬのなんて怖くなかったです。

 

車道にフラフラ出て行って

消えてなくなれるなら消えてなくなりたかった。

 

どうせ悲しんでくれる人はいないのだから。

セルフイメージどころではありません。

 

児童養護施設ではその後もいろんなことが起きました。

 

子供8人が一部屋で寝る時に隣の布団の子に思い切り顔を引っ掛かれ血だらけになり何日間も傷だらけで過ごしたり。

 

毎日毎日、何をされるかわからない恐怖にビクビクしながら生きていました。

大晦日に実家に帰り、
ケーキを買ってもらいました

児童養護施設にも里帰りのタイミングはあり、

あの日以来行っていない家に帰りました。

 

そこで父から、母は統合失調症が酷くなり

閉鎖病棟に入って療養中だということを聞くことに。

 

…ねえ、お母さん。
私は生まれてきた意味があるのかな?

生まれてこなければよかったのかな?

 

そんな疑問ばかり頭に浮かびました。

 

気まずくなった父は、大晦日だというのに

麻雀とパチンコに出かけてその日は帰ってきませんでした。

 

元旦に起きてカップラーメンをすすり、父の帰りを待っていると
酒臭い父がケーキを持って登場しました。

 

そのケーキは食べかけでした。

 

それでもオレンジ色のカビご飯だった頃に比べれば。そう思って食べたら、お腹を壊しました。

 

元旦、トイレから出られず外に聞こえないように
声を殺して泣いていました。

 

父の愛情をどこかで期待していただけに、

この時のショックさは筆舌に尽くしがたいものがありました。

 

今度こそ諦めよう。

私の居場所はここではない。

犯罪を強要され、
失敗しイジメの標的に。

ある時、珍しく施設の友人に一緒に帰ろうと言われて行ってみると

なんと万引きの仲間にされるという話でした。

 

これは彼女たちが「成人式」と呼んでいるもので

当然、参加しないとどんな目に遭わされるかわかりません。

 

しかし当然ですが、そんなことをやったことがない私は失敗。

見事に鈍臭いというレッテルを貼られました。

 

次の日からは、とうとう教室から誰も味方がいなくなり、いじめの標的にされるようになりました。

 

授業中は背中にシャーペンの芯や消しクズが飛んでくる。

休み時間は不良男子グループがちょっかいを出してくる。

養護施設では、話しかけても無視されるようになりました。

神は乗り越えられない試練を与えない

児童養護施設はキリスト教系なのでシスターがいらっしゃり、

あまりに孤独に耐えられなくなった私はある日、

泣きながらあるシスターに現状を言いました。

 

「万引きは悪いことだとわかってるけど、
ひとりぼっちはやだよ…。」

 

シスターは私を抱き寄せながら、話を聞いてくれました。

そして、優しく私に告げました。

 

「知枝ちゃん、あなただからこそ、与えられている試練があるのよ。

試練を乗り越えるか乗り越えないかは、どちらでも選べるのよ。

その状況に不平不満を言い、何もしないでいるのもあなたの自由。

 

試練を乗り越えようと努力し、何かを学び取り、

生きていく礎にするのもあなたの自由。

 

大きな試練が与えられたということは、

神様はよほどあなたのことを信頼しているのね。」

 

そういって、彼女は自分の首にかけていた

桃色の七宝焼きの上に聖母マリアが微笑してる

ペンダントを私の首にかけました。

 

「このペンダントがいつでもあなたのことを見守ってるわ」

「だからどんな試練も逃げずに

乗り越えてちょうだいね。約束よ。」

 

シスターは私の手を両手でぎゅっと摑みました。

温かいぬくもりとともに、シスターの想いがじんと体中を駆け巡り、私は涙目でコクリと頷きました。

 

どうして私がこの世に生まれたかは、その意味はわからない。

「私だからこそ与えられた試練」

この言葉を糧に、生きていくことを決めました。

 

心が揺らぎそうなときは日記に吐き出していました。

日記だけが自分の友達。

 

イジメは止まなかったけど、相手にすることをやめ勉強と部活だけに打ち込みました。

結果、高校には推薦で進学校に。

人生初の成功体験でした。

泣くのを堪えるのに必死だった
友人の一言

進学校に通うようになり、周りの人の環境がガラッと変わりました。

 

周りは普通か裕福な子ばかり。

正直、自分の私服や財布などはかなり恥ずかしかったです。

しかし友人もできて、平和に過ごすことができました。

 

ただ、事件が起こります。

あるときに児童養護施設にいることがバレてしまいました。

 

ことの経緯は食堂でお弁当を開いていたら

「知枝ちゃんのお弁当美味しそう!」

と言われたので、思わず

「意外と簡単なんだよ?」

と返したら

「え…。もしかしていつも自分でお弁当作ってるの?」

と友人が聞いてきました。

 

あ、しまった。。。

しかし嘘をついてもしょうがないので

 

「実はね、お父さんお母さんとは離れて暮らしているんだ。

今は児童養護施設で暮らしていて、

高校生のルームメイトはみんな自分でお弁当を作っているよ。

あ、ごめんね……。

昼間っからこんな暗い話しちゃって……。ははは」

 

私には二人の表情を見る勇気がなかったです。

ああ、せっかくできた友人が離れてしまう。

心臓がキュッとなって苦しくなりました。

 

友人は間髪入れずにこう答えました。

 

「で、それがどうしたの?知枝ちゃんがどんな環境だろうと、

ウチらの友だちには変わりないよ」

「お弁当自分で作れるなんて尊敬しちゃう。

もしよかったら今度、遊びに行かせて、私にもお料理教えてね!」

 

今まで人生で一度もなかった同年代からの温かい言葉。

思い切って打ち明けたのに、なんの問題もなく受け入れてくれました。

 

私は友達に優しくされる経験を初めてして泣くのを我慢するのに必死でした。

養護施設では当然まだ色々ありましたが

高校はお金がないこと以外はなんとか順調で
勉強にフォーカスしました。

当然浪人できるわけもないので部活はせず、ひたすらに勉強しました。

大学進学に成功、施設から卒業

そして現役合格、この施設から大学にいくのは史上初とのこと。

 

苦い思い出だらけの施設から卒業することになりました。

 

日記だけが友達だった施設。

辛い経験があるだけで強くなれるというのは嘘で、そこに立ち向かい続けることが重要と教えてくれたシスター。

ありがとう、さようなら。

 

日記にそう書いて施設から卒業しました。

 

父と二人暮らしがスタートする時に事件が起こりました。

 

「ごめん。2年分の学費貯めたって言ったけど、麻雀に負けて使い込んじまった……」

 

正月に腐ったショートケーキを食べさせられて、
ひどい下痢をした日を思い出しました。

貧乏大学生生活のスタート

幸い奨学金の申請をして通りましたが、
それでもお金の不安は尽きません。

アルバイトをとにかくしっちゃかめっちゃかしました。

 

惨めな人生だと言われたくないので

大学では仮面をかぶっていました。

その時の日記がこちら。

<以下転載>

6月27日………

学校の友だちからは、楽観的性格で苦労知らずな

キャラで通っているみたいだけど、それはウソ。

陰でどんだけ涙を流しているか知らないでしょ。

お父さんのギャンブル、お母さんの病気、
お金のこと。

皆の方がよっぽど恵まれた環境にあるよ。

私なんか、羨ましくて劣等感持っちゃう時だってあるのに

施設での8年間はもう過去のこと。

言って同情されるより、楽観的って言われたほうがマシ。

日記は四冊目になっていました。

 

バイトバイトバイト…。

 

卒業できるか、お金が間に合うかで毎日必死に生きていました。

 

そんな中、あるきっかけでCAを志し、

お金がないのでNHKのラジオ英会話講座で必死に勉強しました。

19800円のスーツで就職活動

CAの就職活動はお嬢様や英会話が堪能な人が多い中、惨めな気持ちになることはありましたが、

施設での8年間に比べたらと必死に努力。

 

猛勉強、全ての貯金を投げ出してCAになるための専門学校に入学。

 

就職活動ではまさかの健康診断が1番の山場でした。

実は外斜視という病気を患っていて、

矯正視力で1.0はないといけないということで眼科に慌てて駆け込み初めてコンタクトをつけるということになりました。

 

しかし健康診断では正直あまり良い結果が出されず、

「これは落ちてしまった…。」

と最終試験の帰り道に悔し涙を流したことは今でも忘れられません。

憧れのCAに奇跡の内定

健康診断の結果で落ち込んでいたものの内定の電話が来ました。

 

貧乏でバイキン呼ばわりされ、みじめな思いをしてきた私にも

「幸福がやってきた」と、読んで字のごとくその電話がきたときはその場で小躍りをしていました。

 

父に報告したら、誰よりも褒めちぎってくれ

入院先の母もとても喜んでくれました。

 

入院の甲斐もあり、母は症状に落ち着きをみせ
父も真面目に働くようになっていました。

 

閉鎖病棟にいた母は普通の病棟に移り母、父、私の三人で談笑ができるまでに回復してきました。

 

絶対に自分の居場所を取り戻してみせると誓いました。

石棺のように過去を嘘で塗り固めた
CA時代

CAになった私はとにかく自分を取り繕うので必死でした。

なぜCAになりたかったの?という質問には

「ミッション系の高校の寮に入っていて

帰国子女が多いから国際線に乗りたかった。」

と完全に嘘をついていました。

私は生まれた時から幸せで恵まれた身分なのだと、とにかく自分を騙すことに精一杯でした。

CAだと終電を失うと会社からドライバーが出るのですがボロ家を見られるのが嫌なので買うものがなくてもコンビニ前で下ろしてもらうことにしていました。

何の不自由もなく恵まれた環境に育った人に、

私の苦しみなんて分かりっこない。

このままでは、自分の仮面がいつか剥がれてしまう…。

そう思い、父と暮らしてい6畳のボロアパートから引っ越しを決断します。

合コンの花形CAではあるが失敗続き

多数の合コンで呼ばれるCAですが、条件がいい男性といくら出会っても心がときめくことがありませんでした。

自分に誇れるバックボーンなどないため、ただただ黙っている私。

 

中身のない会話。表面的、画一的なところでしか人を見ない男性陣。

考えてしまうのは家族のこと。

 

なぜ、母と父はあんな状況になっても愛し合っているのだろう?

私にとっての幸せってなんだろう?

チャンスが舞い込み芸能人デビュー

そこからCA歴が5年目になろうという時。

 

機内アナウンスの訓練のために

「話し方スクール」に通うことに。

そこの事務所の社長にスカウトされ芸能界デビュー。

 

トントン拍子に行くはずだったが…。

最初の1年目しかほとんど売れず、完全に売れない芸能人になってしまう。

 

憧れのCAの道を捨ててまで得た芸能界の道は
考えてみればやりたいことも目的もなく、
ただ浮き足立って入ったことに気づき愕然とした。

ボロボロの売れない芸能人の
最後の売り込み

マネージャーも事務所の社長もとうとう誰も相手をしなくなり

ある日、なんとか出版社にくらいつき企画を持ち込みにいった。

 

しかし何をいっても出版社の編集長は断り文句を探している。

 

「私、最近全然仕事がなくてヒマでして、

CA時代からの人脈を生かして合コンばかりやってるんです。

この間、外資系証券マンと合コンしたんですけど、

ひどい詐欺まがいの合コンだったんですよ……」

 

「ほぅ……それで」

 

お!合コンにくらいついた!

そこで企画として通ったのが

「合コン四季報」という連載になった。

 

合コンアナリストとしてコラム連載

1000回に及ぶ合コンリサーチ

CA時代も、合コンそのものには興味は湧かなかったがなぜか私のするアドバイスは非常に好評で

「成田の母」

とまで呼ばれていたので、実は記事には自信があった。

 

コラムは人気コーナーになり、
面白い文章を書くためにひたすらリサーチ。

 

ネタ集めのため夜な夜な合コンに繰り出すようになったが必ずICレコーダーをブラジャーの中に潜ませる。

まさに合コンの女スパイ(笑)

 

他誌の連載も決まり人気コラムニストとして認知されるように。

 

そしてキー局に「合コンアナリスト」として出演するようになる。

 

ここで、恋愛のポイントやうまく行く女性、

良い男性などを見極める目と分析的な視点が生まれ、現在の活動に生きる形に。

 

100回を超える恋愛相談で気づく
最大のポイント

そこで気づいたのが、どんな美人であっても

どんなにキャリアがあってもなぜか上手く行かない女性は

「自尊心が低い」

ということ。

 

そこからは徹底した研究を開始しました。

 

コラムや芸能活動で稼いだお金を全て投下し実践と勉強を繰り返します。

NLPマスター、コーチング、脳科学、

カウンセリング、エンパシーライティング

あらゆる対人関係の勉強や資格を取得していきました。

 

そして自分自身も現在の夫と運命の出会いを経て後に結婚。

家族と手を取り合う日が実現しました。

挙式は、自分のそだった児童養護施設の教会。

 

ケーキはシスターの手作り。

子供達のブラスバンドで結婚行進曲を奏でてもらいました。




全てのトラウマを名実ともに清算し、

魂の結婚をしました。

婚活コンサルタントとして
プレシャス美女塾開講

ここからは動画でお伝えした通りです。



9年間、婚活コンサルタントとして活動し500人以上の婚活を直接支援。

結婚や彼氏ができたという報告

出版オファー

受講生たちからの成功報告の手紙

松尾先生

ご無沙汰しております!

先日は素敵な講座をありがとうございました。大変勉強になりました。

実はあの後すぐ、素敵な男性と出会い、お付き合いしております!

あの講座でリストアップした通りの男性です(^○^)4月には結婚するよていです(^○^)

知枝さんの言葉を踏みしめて前向きに過ごしていたからだと思います^o^

本当にありがとうございました^_^

感謝しています。

寒い日が続いていますがお身体に気をつけて

益々のご活躍を祈っています(^○^)

知枝さんこんばんは!

お元気ですか?実は報告がありましてメールさせてもらいました。

 

この度、結婚することになりました♡♡

お付き合いをしてから、本当に全てがとんとん拍子で進み、

自分でもびっくりしています。

 

付き合ってからは、彼の不器用ながら大切にしてくれる気持ちや、

彼と結婚することができて、本当に嬉しいです!

 

今までいろいろと恋愛をしてきましたが、絶対にこの人!

という人と出会えて嬉しいです。

結婚したいからするのではなく、

この人だから結婚したい!と思えていることが、

自分自身何より嬉しいです。

 

塾での講義を通して、

改めて自分を見つめ直すこともでき、

またどういう男性が良いのか等、

自分の軸がしっかりしてきたと思っています。

 

塾で作ったノートを

見返したところ、全部叶っていました!!

これには、本当にビックリです。

付き合って10カ月でプロポーズしてもらいました!

本当に、自分でもびっくりしています・・・!

 

知枝さんには塾時代からたくさん

アドバイスをいただき、本当にありがとうございます♡

知枝さん夫婦に負けないくらい、

ラブラブであたたかい家庭を築いていきます!

知枝さんに結婚の報告が出来て本当に嬉しいです。

これからもよろしくお願いします!

各メディアでの出演

その活動がTVから注目を浴び、各メディアでの出演。

主なTV出演

サンデージャポン(TBS)
新知識階級 クマグス(TBS)
ひるおび!(TBS)
めざましテレビ(フジテレビ)
ネプリーグ(フジテレビ)
サンデージャポン(TBS)  
ワンセグランチボックス(NHK)
その話ハイラセテ(フジテレビ)
ワイド!スクランブル(テレビ朝日)
世界まる見え!テレビ特捜部(日本テレビ)


来年、私はあなたの結婚式に出席します。

そして今回婚活事業10年目を迎え

今まで「Precious美女塾」を始め数多くの講座を

全て統合した魂レベルの結婚をするための新プロジェクト

I Release Program for Marriage

5月1日からスタートします。

講座内容

その他、

・欠点も未熟さも個性として受け止めるには?

・どんな逆境でも誇りを持って生きていくために欠かせない考え方

・特別な私に生まれ変わるための朝と夜日記(ノートと付箋を使います)

・心の影発見!私の感情ヒストリー

・毒吐き日記:負の感情との上手な付き合い方、簡単3ステップ

・自己開示実践ワーク:過去の自分へ感謝の手紙


など

あなただけのオリジナル台本がつくれちゃう!

これさえあればデートも余裕!

あなたの悩みに直接、1to1で長文でお答えします。

松尾知枝とあなたの秘密の交換日記になります。

 

合計12回のあなたとのやりとりで、あなたの魂をブラッシュアップします。

特典

どのように進めればいいのかわからない…。

そんなあなたにIRPMの進め方を丁寧にお伝えする

初回オンラインセミナーにご招待します。(初回参加のみ)

恋愛、婚活だけではなく、生き方、仕事、人間関係、家族との関わり方や

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完全会員制オンラインサロンに6か月、無料でご招待します。

 

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気軽に質問等ができ、同志と情報交換が

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人数限定であったり、特別なセミナーやイベントに優先的に

ご案内を流させていただきます。

スケジュール

プログラムに参加した場合のスケジュールについてお話しします。

IRPMは5月1日に開講します。

 

プログラム期間は全体で3ヶ月となっており、週に1回動画を配信します。

内容は1ヶ月ごとに「自尊心」、「コミュニケーション」、「ビューティ」と変わっていきます。

 

期間中、スタートアップミーティングや各種イベント、卒業式もあるので

オンライン講座参加者同士が繋がる場もご用意しています。

参加費

参加費は今回、10年間の集大成であることや、今まで以上のサポートの充実、

実際の時間的な投下の量、全てのコンテンツを詰め込んだものなので

スタンダードで60万円相当でも妥当であると思っています。

 

ロンドン大学の研究によると結婚が人に与える価値は

年間614万円の価値であるという調査があります。

 

良い人間関係は年間766万円の価値があると言います。

 

逆に別居や離別が与えるマイナスのインパクトは年間マイナスで

1492万円相当あるというデータがあります。

 

 

強く確認しておきますが、運命の結婚は全てに変えがたい価値です。

離婚も無く、一生一緒に運命の人といられることは人生無上の喜びです。

お金では換算できないものがあります。

 

しかし、今回のコロナの状況や、10年間の集大成を多くの人にぜひ体験してほしいという気持ちもあります。

そして沢山の、総計1000近くの今回のワークをみて、

本当に多くの人の力に与えられればと思いました。

そこで

スタンダード

 308,000円(税込)

プレミアム

416,000円(税込)

を一般価格にしようと決断しました。

しかし今回は動画を見ていただいた方は

4月25日(土)までの先行価格
(限定50名様)

スタンダード

198,000円(税込)

プレミアム 

308,000円(税込)

で募集致します。

(時間と期限が過ぎましたらこの表記は無くさせて頂きます。)

4月25日(土)まで
限定50名
↓申し込みはこちら↓

↓参加費、内容一覧↓

PCがなくてもスマホだけで受講できます!
自分の好きなペースで無理なく学べます
仲間と一緒だから三日坊主の人でも安心
たった一人じゃないという心理的な安心感


・週1回の動画
・自己発見ワーク
・メールサポート
・オンラインコンサルティング

注意

登録メールアドレスは
携帯のキャリアのメールアドレスですと
未登録のメールは届かないケースが多いので

Gmailなどの外部メールサービスをご利用いただけると
メールがスムーズに届きます。

次はあなたが魂の結婚をする番です。

最後に…



私には、ミッションがあります。

 

それは日本に一つでも幸せな家庭を作るということです。

そして、幸せな家庭は幸せな夫婦から生まれると信じています。

 

あなたにもそのミッションに協力してほしいと思っています。

まずはあなたの幸せを作るところから始めましょう。

 

あなたはわかっているはずです。

幸せになりたい、その気持ちを一緒に実現させましょう。

 

あなたの魂が震える結婚式で、寿アナウンスをする日を心待ちにしています。

追伸…

最後までこの手紙を読んでいただきありがとうございます。

動画講座も含めれば本当に長い期間ありがとうございます。

…。

あなたには今、二つの道があります。

このまま今までの人生の延長を過ごすか、

全く違う人生を過ごすか

の2つの道です。

どちらの道も、とても険しい道になると思います。

しかし、その道の一つには運命のパートナーがそばにいる道があります。

人生はどちらにせよ辛く、長い道です。

消えたい日も、多いと思います。

あなたが一人でありませんように。

幸せでありますように。

あなたのいく道に幸多からんことを。

松尾知枝

お問い合わせは

irpm.konkatsu@gmail.com

こちらのアドレスまで
ご連絡をお願い致します。